「おいしい信州ふーど」レポート

厳しい環境から生まれた「すんき」。隣同士で作り合う文化も残していきたい

御嶽山

御嶽山の麓ですんきが作られるようになったのには、理由があります。二つの山脈に挟まれていて、冬は雪に覆われ、マイナス20度まで気温が下がることもある。そんな厳しい環境の中、冬を越すための野菜を保存する方法として発酵食品が作られるようになりました。昔は「米は貸しても塩を貸すな」と言われたほど、海から遠い木曽地方では塩は貴重品。そこで塩ではなく乳酸菌を使ったすんきが生まれたのです。

「おいしい信州ふーど」名人・木曽のヘリテイジのつたえびととしても活躍する野口廣子さんは、「ふるさと体験館きそふくしま」ですんき漬け講座の講師を務める「すんき名人」。農産物加工所「夢人市(むじんいち)」でほう葉巻きや笹巻き、すんき、赤かぶ漬などの製造・販売も行っています。「最近は、すんきが体に良いということが広まり、食べる人も作る人も増えてきました」と野口さん。もともとは、木曽地域の中でも御嶽山の麓の村々で作られていたといいます。

「手間がかかるものだけど、流通が発達しておいしいものがいくらでも手に入るようになっても300年間ずっと作り続けてきたというのは、やっぱりすんきのおいしさに魅力があるのでしょう。」

野口廣子さん

夢人市ですんきを販売するようになったのは、1993~94年ごろ。95年からは、木曽すんき研究会・木曽農業改良普及センター等が協力して「すんきコンクール」が始まりました。そのころからすんきの認知度も徐々に上昇。「昔は赤かぶをかぶ漬等に使って、残ったかぶ菜を家庭のすんきに利用したけれど、今は逆。すんきのために赤かぶを作るようになりました。」と野口さんは話します。

「すんき漬け」の季節を迎えると、各家庭で「タネ」にするためのすんきがあちこちで買えるようになりましたが、以前はご近所同士すんき種(だね)をやり取りをしていたと振り返ります。「これだけ注目されるようになったのはうれしいけれど、隣同士、作り方や出来具合を話のタネに交流しあうということは、これからも大事にしていきたいですね。」

木曽エリアの「おいしい信州ふーど」レポート